❶ 昨天看了日本電影追捕,感覺除了男主角,裡面的其它人真是笨啊為何日本電影給人的都是這樣的感覺
追捕沒看,日本電影看的少。知道的有幾個你可以看看。
《告白》復仇類
《日本沉沒》《除日本以外全部沉沒》一個是科幻電影。一個是惡搞它的電影,並且充滿了諷刺意味。
《日本最壞的傢伙們》
❷ 看完日本電影《戀空》,你有什麼感想
戀空》在年輕人當中享有極高人氣的原因是,主人公美嘉將細微的心情變化以時下年輕人的表達方式進行闡述,無論是小說中主人公打電話的方式,還是發電子郵件,她的喜怒哀樂都讓那些曾經戀愛過的人有一種「我明白這種心情」的想法。美嘉所面臨的種種問題,與讀者們平日的煩惱相似,雖然讀者們所面對的煩惱未必都像美嘉那樣讓人困擾,但讀者們在閱讀文章的時候都會在潛意識里將主人公所面臨的煩惱轉嫁到自己身上,特別是小說中描寫的中學生必須直面的現實,讓同一年齡段的讀者們產生了很大共鳴。面對愛情,面對朋友,面對家庭,中學生每一天方佛都像是在戰場上一樣,而讀者們看到小說中無論面臨什麼樣的困難都不放棄的美嘉,也感受到了希望並充滿了勇氣。
❸ 日本電影《花束般的戀愛》溫暖治癒,影片中的哪些情節最是觸人心弦
日本電影《花束般的戀愛》在國內上映後,立馬引起了觀影者的強烈反響,也在豆瓣上獲得了極高的評分。這一部影片之所以獲得巨大的成功,是因為它真實的演繹了一曲極真實又讓人極感傷的愛情,故事中的一些情節讓人看過後莫名地就被觸動了心弦。給筆者留下最深印象的情節當屬以下這幾個:

三、“我的人生目標就是和你維持現狀”
絹和麥兩個人有著很好的感情基礎,所以他們期待自己的愛情能夠永久保持最初的美好。兩個人在一起兩年了,每一天都能夠互相分享彼此的心情,這讓他們非常感謝過去在一起的所有瞬間。所以站在陽台上時,麥對絹許下了諾言:我的人生目標就是和你維持現狀。當時的兩個人是多麼的天真啊,他們內里充斥的那種愛情磁場是如此的美好,可最終還是沒能夠逃過命運的捉弄,兩個人的許諾有多讓人期待,結局的分開就有多麼的讓人唏噓。
❹ 走進人性的經典日本文藝片,你認為最好看的是哪一部,是什麼原因深得你心
是《怒》
三個平行故事在一起殘忍兇殺案的穿插揉合,所形成的卻並不是何般故布疑陣的懸疑,李相日用一個「怒」字作為片名所貫穿始終的其實是最為復雜的人性,這是一部即將信任與救贖濃墨重書,也將自私、殘酷、懦弱這些陰暗暴露無遺的作品,以此所誘人的深思,其實早使誰是兇手的結局在這部電影中變的無足輕重。

兇殺懸疑在 《怒》中僅只是一個引人入勝的噱頭,電影對何以為「怒」的詮釋,最終所想帶觀眾探尋的是人性的谷底,是因為無法信任而衍生的心魔,以此所寫實的「怒」,不得不令讓人稱道在平穩內斂的敘事里充滿了真正直擊人心的力度。文/夢里詩書
❺ 《東京物語》直擊人心,大男人都能看哭的電影,你為之所動了嗎
很真實很現實的一部家庭電影,一個大男人都看哭了,說不出的苦澀。現代城市改變了人們對時間空間的看法。一次探親之旅,勾畫出的家庭關系和社會圖景,足以概括城市帶來的倫理困境,並在當下依舊適用。在影片的諸多人物中,獨自住在“筒子樓”的紀子尤其特別,時代變遷,她卻近乎迂腐地堅守著傳統道德觀念,會因為一絲自私而痛哭,在丈夫離世八年後依舊獨身,對待公婆謹遵孝道,遠甚親生子女。老父親演技最為出眾,有一種靜默卻厚重的力量,直擊人心。

電影不緊不慢的節奏和看似普通人的生死與人情世故卻有一種入木三分的力量感,本片可謂是東方人人情世故的典型,父母與子女的關系會隨著子女的越長越大而變得越來越疏離,當已為人父、為人母的子女終於有機會為自己的父母做點什麼的時候,即便讓他們遊玩自己的城市、安排他們住海景房,卻仍然抽不出時間來陪他們,因為大家總是那麼忙,等到想盡孝時,母親已經不在人世了。
❻ 日本電影《墊底辣妹》這部電影怎麼樣
我覺得這部電影很好看
它是一部講述日本高中生高考生活的電影,評分目前是8.2, 口碑爆棚。絕大多數人回憶起青春,首先想到的必定是學習。但是絕大多數青春片,基本都不拍學習,至少不以學習為敘事中心,因為這太枯燥乏味了。它們要麼是像《小時代》那樣浮誇,要麼是像《匆匆那年》那樣墮落,然而,這些異類的青春故事,描述的並不是我們的青春。

坪田老師以特有的方式打開工藤沙耶加的心防,兩人很快成為好朋友。在坪田的幫助下,工藤沙耶加對學習的態度逐漸濃厚,後來更立下了考取慶應大學的宏願。這是丑小鴨絕地逆襲的真實故事。覺得真的很勵志,很值得年輕派的人去看一看。
❼ 為什麼日本的電影動漫很多給人一種憂郁感,孤獨感
因為日本的傳統文化就是有一點悲傷美的,日本是一個纖細敏感的民族,舉個例子,川端康成就是很明顯偏向這種類型的,這種文化也是經歷很長時間積淀下來的,就像我們也有自己的文化特點。日本電影我看的不多,但的確很多都給我一種壓抑悲戚的感覺,至於動漫,我只能說宮崎駿都有這個特點啊:-D
❽ 求一篇日本電影觀後感(要日文的,並且電影最好有名點)
我來給你一篇吧,希望能幫到你,不要吝嗇分哦~~~
《東京塔》觀後感
[映畫]『東京タワー』感想
昨日観に行ってきました『東京タワー』。かなり出足は好調みたいで、仆の地元から車で1時間くらいの某地方都市(シネコンが飽和狀態)のレイトショーでも、3割くらいのお客さんの入りでした(とか書くと、東京の人には「ガラガラじゃん!」って言われそうだけど)。
それで、いきなり結論から書いてしまいますが、すごく良かったですよ、この映畫。観る前までは、正直「もう『東京タワー』見飽きたな……それに、キャストもオカンが樹木希林さんって、絵的にどうよ、「フニフニフニフニ(林檎殺人事件)の人だもんなあ」とか思ってたんですけどね。
この映畫、小說や大泉洋主演の単発ドラマや速水もこみち主演の「月9」のようには泣けません。仆がこの映畫に最も期待していたことって、松たか子をスクリーンで観られることと松尾スズキさんの腳本だったのですが、松尾さんは本當に素晴らしい腳本家だなあ、と思いました。絕妙の寸止め感。今までのドラマでは、「視聴者をここで泣かせてやろう」という製作側の意図が透けまくりの安っぽい「お涙頂戴シーン」満載だったのですが、この映畫版では、「ここでもう一押しすれば、『泣かせられる』のに……」というシーンで、惜しげもなく場面が切り替わります。オカンの手紙が登場しても、その內容が作中で読まれることはありません(例外はありますが)。今までの「オカン」は、「とにかくマー君を大事にする子煩悩な母親」として描かれていたのだけれど、この映畫版でのオカンは、「母親であるのと同時に、ひとりの女性でもあって、自分がこうして『母親役』を演じ続けなければならない現実に戸惑っている」というのがものすごく伝わってくるんですよね。「人間」って、本當はこういうものだと仆も思うのです。內田也哉子さんって、本木雅弘の奧さん、というイメージしかなかったので、オカン役としては不安だったのですけど、この映畫のなかでは、いちばん印象に殘った役者さんでした。まあ、「ボク」が大學生になったときに、いきなり「オカン」が內田也哉子さんから樹木希林さんに変わったときには、「オカンは何の呪いをかけられたんだ……」と驚いてしまいましたけど。さすがにあれは唐突すぎないかね。親子だから、似てるんだけどさ、確かに。
仆は松尾スズキさんって、本當は『東京タワー』みたいな濕度100%の話って、苦手だし嫌いなんじゃないかな、と思います。そして、だからこそこの映畫は、「泣きたい人を泣かせるためだけの映畫」にならずに済んだのかもしれません。松尾さんは、このドラマを「泣かせる話」「素晴らしい親子愛の話」として過剰に描くことをせず、「どこにでもある、人と人とのすれ違いと結びつきの物語」として描いていて、それは仆にとってはすごく「身近なもの」だったんですよね。原作のダイジェスト版みたいになっていて、短いシーンが次々と入れ替わるし、「泣きたい人」にとっては素っ気ない話のように思えるかもしれないけれど、そう感じられるのは、人生ってやつが素っ気ないものだからなのですよ、たぶん。
正直、「ボク、オトン、オカン」以外の登場人物の大部分に関しては、かなり說明不足で「原作を読んでいない人には『なんでこの人がここにいるの?そもそも、この人誰?』と思われるのではないかな」というシーンがあったり、ラストにちょっと違和感があったりしたのですが、最近の日本映畫は、本當に元気だなあ、と感じさせてくれる映畫でした。個人的には、食べまくっている松たか子にちょっとウケましたよ。「SMAP×SMAP」でも、女優とは思えない「ガン食い」してたからなあ……
そうそう、仆は1ヵ所だけ涙が出て止まらなくなったシーンがありました。でも、その1回で十分満足。
しかし、ここまで「あっさり風味」の演出というのはある意味すごいですよね。あの濃厚トンコツラーメンのような『東京タワー』をここまで淡白な作品にしてしまった映畫のスタッフは勇気があったと思いますよ。オカンが死んでしまうシーンも直接的には描かれなかったし。仆としては、リリーさんが醫者に対して食ってかかるようなシーンが無かったのにはホッとしたのと、普通の患者さんからみると「病院」というのはこんなふうに見えるのだなあ、と感じたのが印象に殘っています。
ただ、「ミズエ」っていうキャラクターは、この作品にとって何だったんだろうなあ、という疑問は殘ってしまっていて、『en-taxi』の映畫『東京タワー特集』では、松たか子が、ラストシーンでボクとミズエとオカン(の位牌)が東京タワーの展望台に上るシーンに対して「私がここに居ていいんでしょうか?」と疑問を呈したというエピソードが紹介されていました。仆も観ていて、「ミズエって、そんな『特別な存在』だったの?」と思ったんですよねやっぱり。この映畫での描き方だったら「リリーさんの大勢の女友達のうちのひとり」にしか見えないというか、少なくとも「ボク」と「オカン」と一緒に東京タワーに上る資格がある存在には見えないんですよ。「オカンはそれを望んでいた」のかもしれないけれども。まあ、「オカンの死をきっかけに二人はよりを戻して結婚した」みたいなオチよりははるかにマシだったとしても。
ちなみに、仆が泣いてしまったのは、オカンのお通夜のときに不躾な編集者から催促の電話がかかってきて、一度は「こんなときに仕事なんかできるか!」と電話を切った「ボク」が、「お前が仕事をしているのを見ているときが、いちばん気分が良いよ」というオカンの言葉を思い出し「最高に笑えるバカエッセイ」を一生懸命に書きはじめるシーンでした。仆の母親もなかなか見舞いにも來ない息子(=仆)に対して「お前が元気で仕事をしていてくれれば、それがいちばん安心だよ」と言っていたのを思い出してしまって。
今の仆にできる「親孝行」っていうのは、たぶん、仆自身が自分に誇りを持って生き抜いていくことだよな、とか考えていたら、涙が止まらなくなりました。
